社会で認められる、 自立した女性として成長するために。
潤徳女子高等学校は、この地に女子の後期中等教育を根づかせたいという地元の方々の思いから、1924年(大正13年)に創立された学校です。以来、この創立の願いと精神は脈々と受け継がれ、そのビジョンはさらに広がり、現在では、日本社会をリードする女子の育成へとより大きくなっています。
残念ながら先進国の中で日本は、女性の力がまだまだ活かし切れていない国です。日本の未来社会の課題は、未知数である女性の力を、いかに活かすかにあるといっても過言ではありません。そのためには、高校の3年間、胸に秘めている思い、希望、夢を諦めず、より大きく開花させるために、学力・能力・スキルをしっかりと磨くことが大切です。
本校は女子校であることの特性を活かし、女子の目線にたち、女子ならではの教育を行っています。また、奨励している生徒の自治活動では、女子だけで行うことで、他では得られないさまざまな体験を積むことができ、女性として、人間として、成長する大きな糧となっています。自らの個性と能力を最大限に伸ばし、日本で、世界で、活躍し認められる女性を、 ここから目指してください。
木村 美和子
学園沿革
学園の誕生
1900(明治33)年ごろ、千住町界隈に裁縫学校と幼稚園を設立しようという動きがあった。その立案者こそ、本校創立者・堀内亮一氏である。堀内氏は千住町の開業医であり、「社会を良くするためには、まず一般家庭から良くしていかねばならない」という信念の下、この時代に早くも“女子教育”と“幼児教育”の重要さを唱えていた。そのときは学校設立には至らなかったが、1905(明治38)年の「小学校令」改正を機に、堀内氏は同士を集めて「千住町教育会」を結成、地域の教育に注力した。
1920(大正9)年、堀内氏はあらためて女学校および幼稚園の創立を決意する。その草案は千住町教育会の賛成を得て、いよいよ教育会の事業として実行に移された。
1922(大正11)年、千住2丁目の勝専寺の境内に借り受けた敷地553坪に校舎が完成、翌年には先に認可を受けていた幼稚園を開園した。その後1924(大正13年)2月13日、本校は「潤徳高等女学校」として文部大臣の認可を取得、同年4月に開校の運びとなった。
“潤徳”の名の由来は、中国の儒教の教典「大学」に記された「富は屋を潤し、徳は身を潤す(富を得れば家に潤いが出て、徳を積めば自分自身の心を潤す)」という教えである。
- 1924年 2月
- 地元の先駆者・堀内亮一先生をはじめとする有志の方々によって設立
- 3月
- 大審院々長( 現最高裁長官)の要職にあった法学博士牧野菊之助氏 初代校長に就任
- 4月
- 開校
- 1927年 3月
- 第1回卒業式を挙行 53名の卒業生が巣立つ
- 1947年 3月
- 学制改革により潤徳女子中学校を設立
- 1948年 3月
- 学制改革により潤徳高等女学校を潤徳女子高等学校と改称
- 1954年 4月
- 高等学校に商業科を設立
- 1988年 9月
- ニュージーランドのダイオセサン女子校と姉妹校提携
- 1994年 9月
- アメリカの3大学と姉妹校提携
- 2014年 2月
- 学園創立90周年を迎える
- 2018年4月
- 生徒に1人1台のタブレットを導入
- 2020年4月
- コース名を「進学」「特進」「美術」に変更
- 2024年2月
- 学園創立100周年を迎える